わが町のたからもの「浅加稲荷神社」


↑幻想的な雰囲気がただよう浅加稲荷参道

浅加稲荷神社

 置賜公園の野外ステージの近くには朱色の鳥居とお社が特徴の稲荷神社が鎮座していて、その縁起には次のような言い伝えがあります。
 文政4(1821)年6月、前年に完成した内山沢堤が大雨で危ないということで、代官所の係役人・浅野政次と上小松村の肝煎・加藤孫右衛門の2人が駆け付け作業をしていたところついに決壊し、押し流されてしまった。なんとか藤ヶ森のあたりに流れついたとき、崖の上に現れた一匹の狐が下げてよこした藤蔓につかまり助かったが、狐の姿はどこかに消えていた─。
 その後、篤志家の努力と米沢藩からの助成金もあり、決壊した堤は文政8年に無事復旧しました。流された2人が助かり、堤が無事完成したことは稲荷神の加護のおかげだという話になり、そのご恩に報いるために、竹駒神社(宮城県岩沼市)から分請し、2人の姓から一字ずつとって「正一位浅加稲荷大明神」と名付けられました。
 かつての祭礼は旧暦の3月と9月の19日でしたが、現在は6月の第3日曜日におこなわれ、浅野・加藤両名の子孫も招かれるということです。60本にも及ぶ朱色の幟旗が掲げられ、信仰の深さが感じられる幻想的な雰囲気がただよいます。

2020年10月15日発行 町報かわにし10月号掲載

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