わが町のたからもの「堀金堰と実相坊」


↑実相坊を祀った神明堂(大字堀金字田中)

堀金堰と実相坊

堀金堰は慶長9(1604)年6月、直江兼続の命によって開削された用水堰で、鬼面川から引かれた数ある堰の中でも古い堰とされています。この堰がつくられた背景には、実相坊という一人の修験者の存在があり、今なお地域の恩人として慕われています。
慶長9年3月、藩主の奥方様難産の折、堀金村に住む修験者・実相坊の祈祷の甲斐あって、無事待望の嫡男が誕生した。喜んだ藩主が褒美は何なりと申せというと、「私は修験者の身で望むものはありません。ただ、堀金村は水不足で村人が困窮していますので、堰を引いて灌漑の水を豊かにしていただけたら幸いです」と願った。藩主はこの私心のない願いに感動し、早速、鬼面川や周辺の落水を引いて堀金堰を完成させた─。
実相坊が亡くなると、かつて彼が祈祷をおこなっていた場所に神明堂と名付けたお堂が建立されました。やがて安産の神として知られるようになり、多くの人が詣でる様子がみられたといいます。
現在は、神明堂付近の14軒からなる「田中組」の人たちによって、毎年9月9日に祭礼がおこなわれています。また、毎年4月19日の堀金堰の堰開けは、役員一同が実相坊の墓に拝礼してからおこなわれるということです

2021年10月15日発行 町報かわにし10月号掲載

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