わが町のたからもの「小松城址」


↑小松城址の土塁断面(平成4年発掘調査時)

小松城址

 小松城は、14世紀頃長井氏時代に築城されたと考えられており、船山因幡守重家が城主を務めていました。伊達氏時代は大町修理亮貞継にはじまり、7代114年間にわたり大町氏が居住、その後重臣の桑折播磨守景長が城主となりました。天文の乱(1542~1549)後は宿老の牧野久仲に与えられますが、久仲は実父の中野宗時と謀反を起こし(「小松城の戦い」)、失脚します。再び景長が呼び戻され、後年この城で没したと伝えられており、伊達政宗の岩出山城(宮城県大崎市)移封に際し廃城となったとみられます。
 続く上杉時代の話として、「北の関ヶ原」といわれる長谷堂合戦に臨む直江兼続率いる上杉軍が進軍の途上一泊し、重陽の節句の祝い酒を酌み交わした場所であるともいわれています。
 現在も在りし日を偲ばせる土塁が残っていますが、大部分は大正13年の米坂線敷設工事の際に切り崩されました。昭和初期には野球場が整備され、井上ひさしの小説『下駄の上の卵』には、主人公が仲間たちと野球に興じる公園として登場しています。戦後新山中学校ができ、同校が昭和59年に閉校すると、多目的運動場が整備され、地元の人々が集う憩いの場となっています。

2020年7月15日発行 町報かわにし7月号掲載

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