わが町のたからもの「庚申塔」


↑青面金剛像(左)と庚申塔(右)(中郡地区、豊栄神社境内)

庚申塔

 庚申とは、60日に一度めぐってくる十干十二支の庚(かのえ)と申(さる)の組み合わせの日のことで、近隣の男子数名が当番の家に集まり、病魔を除くという青面金剛(しょうめんこんごう)(あるいは猿田彦)を本尊に健康長寿を祈り、夜通し起きて飲食する「庚申講」「庚申待」がおこなわれました。この際建立されたのが庚申塔で、町内では、類似のものも含めると300基以上確認されています。
 庚申講は、中国・道教の三尸(さんし)説に由来するとされる信仰行事です。人の腹の中に棲む三尸という虫が、庚申の夜眠っている間に体から抜け出し、その人の罪悪を天帝に報告すると、その大小に応じて寿命が縮められてしまうため、夜を徹して身を慎むというもので、日本で独自の解釈がなされ、江戸時代にはほぼ全国に広まりました。上杉藩政下で遊興の類が禁止されていた時期も庚申講をおこなうことは許されていたため、ここぞとばかり大いに盛り上がったといいます。
 一年のうち庚申の日が7度ある年は「七庚申」といわれ、庚申塔が特に多く建立されました。中郡地区下奥田南向などでは、現在も七庚申の年に庚申講がおこなわれているということです。

2020年5月15日発行 町報かわにし5月号掲載

PAGE TOP