↑根元から二股に分かれた立派な梨の木
洲島島貫屋敷の梨の木
吉島地区大字洲島の島貫孫右衛門家には、樹齢800年ともいわれる立派な梨の巨木があります。
島貫家は平安時代の初期、先祖が坂上田村麻呂に従いこの地を訪れ土着したと伝えられる旧家で、元の屋敷はその建築様式や構えなどが県内における豪族屋敷の代表的なものであるとして、県指定文化財となっていた時期もあります。指定された昭和32(1957)年当時の主屋は江戸時代中期の建築と考えられ、屋敷正面の東側に長屋門があり、周囲は5~6メートル幅の堀に囲まれていました。現在も一部の堀跡などが確認できます。藩政期には三重の堀がめぐらされており、米沢藩主がしばしばお忍びで訪れ、堀の魚を釣るなどして楽しんでいたとの話が所縁の掛け軸とともに伝えられています。
島貫家の歴史を物語る梨の木は屋敷の東南隅にそびえ立っており、目の高さの幹回りがおよそ5メートルという大きさで、田園風景の中で一際目立っています。特に春、白い花が満開になると離れた場所からもその姿が見えるため、「これは何の木ですか」とわざわざ訪ねてくる人もいるといいます。現当主によると、昔は梨の実を売っていたこともあり、今でも秋には小さくて酸っぱい実をつけるということです。
2021年6月15日発行 町報かわにし6月号掲載