わが町のたからもの「酒町南経塚の一字一石経」


↑「衆」「坊」「弥」の文字が記された経石

酒町南経塚の一字一石経

 酒町南経塚は、平成5年、農協玉庭支所(当時)の建設工事に際し、深さおよそ50センチメートルのところから発見されたものです。
 経典を書写して容器に納め地中に埋めることを埋経といい、その上に塚を築き供養したものを経塚といいます。平安時代、未来仏と称される弥勒菩薩に対する信仰からはじまり、江戸時代になると死者供養や現世利益といった様々な目的でおこなわれるようになりました。
 一字一石経とは、一つの石に経典の一文字を記し、それを続けることで経典を完成させる埋経の一種で、室町時代頃に始まり、特に近世以降流行しました。酒町南経塚はおよそ2万個の経石からなり、文字の判読可能なものが5千個、文字の種類は600種以上にもなります。
 この場所は昔から畑として利用されていましたが、文字の記された石がたびたび見つかることが言い伝えられていました。付近には六面幢や江戸後期の年号をもつ庚申塔が祀られていることから、一帯は何らかの宗教的な意味合いをもつ場所であったことが想像されます。また、本町は扇状地であり、文字を記すのに手ごろな礫石を比較的集めやすかったであろうことも、この経塚造営の背景にあると考えられます。

2020年11月15日発行 町報かわにし11月号掲載

※この資料は町埋蔵文化財資料展示館(川西町交流館あいぱる内)でご覧いただけます。

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